「そんなに飾らなくてもよい」  05.08.21
                     使徒言行録 4:32〜5:11

 「信者の中には一人も貧しい人がいなかった」(34節)。
 使徒言行録は、誕生したばかりの教会の様子をこのように描きます。
 互いに持ち物を分け合って、補い合っていたからです(32、34〜35節)。
 しかし、「貧しい人がいなかった」というのは、物の有る無しの問題だけでは
なかったでしょう。貧しくないといっても、決して裕福になったわけではありません。
 しかし、そこは、愛で満たされていたのでしょう。
 弟子たちは、主イエスが最後の晩餐でおっしゃったことを覚えています。
 「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを
愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)。このことは、
教会で何度も語ったに違いありません。相手に心を注ぎながら互いに愛し合うことが、
教会を貧しさから解放しました。愛されていると感じることのできない社会は、たとえ
物が豊かにあったとしても、心の飢えが広がるばかりの貧しい社会です。
 互いに愛し合うことは、人を満ちたらせます。また、何よりもそこには主イエスの愛が
満ちていました。主イエスの復活を証する言葉が溢れていたとあります。
 この私の罪を赦すために、主イエスがご自分の命を捨てて十字架にかかって
くださったという驚くべき愛の業が語られていました。また、死んで復活された主イエスは、
弟子たちの所に来ます。それは逃げ出した弟子たちを赦し、そんな弟子たちと一緒に
生きるためにでした。そんな主イエスの愛を知らされているからこそ、貧しくないのです。
 さて、教会に、献げものをごまかしてしまった夫婦がいたと記されます。
 自らの欠けや弱さをごまかさなければならないと考えてしまった人たちです。
 しかし、ごまかす必要などありませんでした。

 
自分の足りないところ、信仰の不十分なところは、主イエスに補ってもらうことを
求め、それを期待しながら歩みを進めて行くのが信仰者です。
 そして、そのように求める者に応え、喜んで補ってくださるのが主イエスです。